続・情報社会のアイドルコンプレックス

今までの人生の全てを伏線として回収できるように頑張ってるブログ

ねつ

スルースキルが発達した現代人は、当たり前をきちんと言葉にして発信出来る人間を重宝し始めた。ゴッホよりピカソよりラッセンが好き!と歌い踊るのを観るだけで、人は気持ちがスッキリしたり勇気を貰ったりい笑ったりした。当たり前を真っ直ぐに伝える難しさとか、向き合わない事へのカッコ悪さと向き合う事へのカッコ悪さ。絆って言葉がやたら流行った時の悪寒。

 

単純なことこそ何故か上手くいかないケースが多くて、そのシンプル化スマート化が重要になってくるのは現代の風潮のせいなのか、年頃の問題なのか、はたまた性格的な問題なのか。

 

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好きに対してしか姿勢を正せないので、意図的に好きに埋まって行くことで鼓舞するタイミングが多々ある。最近つまらないなーとか。

 

そんな時に単純に好きという真っ直ぐな感情だけで進んで行けたらいいのに、歪んでしまう…歪んでしまった、歪んでるんです今。絶賛ひずみ中です。

 

今までにもそういう傾向はあるにはあったし割と自覚していたんだけど、その対象の人が、割と何でも受け入れてくれる様な包容力も売りに出来るレベルの、なんならその対象の人も自分よりそういうエモさが凄い人で。

あと今までは、好きになったとか気になったタイミングと、現場で生で見たり接触するタイミングの間隔が狭かったり同じだったりすることが多かったのに、今回はそうじゃなかった。あまりにも募り過ぎた。

 

多分小学生の頃から見ていて好きだった人に、つい数ヶ月前まで、会いに行く発想が無かった。当たり前のようにずっとテレビに居て、ずっとあー好きよ、くらいのおざなりにいた。何年か前にも集中的にWikipediaとかネットで色々検索していた時期もあったけど、好きってわざわざ言いたくない好きだった。でも、立ち止まって自分の中で向き合い見つめた時に、私の中で好きでいた対象と、今の対象に時差と言うかギャップが生じていた事に気付いた。そう言えば、今の対象をちゃんと見ていないな、もっと丁寧に向き合いたい!と。前から素敵だけど今もずっと鈍らず輝き続けている人だから。ギャップに気付き修正に入った結果もっと好きになった。

 

この2ヶ月くらい、情報を漁り掻き集め、遂に初めて現場へ行った。初現場でいきなり初接触の機会があるイベントで、元々接触は苦手なので今まで以上に挙動不審になり、意識は吹っ飛び、自分が本格的に気持ち悪い人間だと改めて自覚した。

初めて生で見た一瞬に、本当に存在してたんだ!と今更で最近は誰にも思わなかった気持ちになった。握手してくれたのに全く顔を上げられず、拝み倒す事しか出来なかった。せっかくその日に美容室に行ってカットとトリートメントとヘッドスパをしてもらって、新しい香水を付けてマウススプレーも買って使ったのに。

ここまで真っ白になる初めての感覚に、自分でも驚くくらい改めて好きなんだなと思った。

興奮と不甲斐なさと羞恥心で眠れず、次の日も反芻してセンチメンタル過剰で、その数日後もずっと勝手に心臓がバクバクして苦しくなった。

 

最早、私は一体どんなスタンスで生きれば良いのか悩み出した。ガチ恋?そんなの苦しいだけだよな、

 

 

 

 

 

人間としてポップに生きるセンスがある人に羨みながら生きてる

 

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さてここまでが8月2日に書きました。今は丁度9月2日.もう一ヶ月経ってしまった。言葉に育ちきらず置去りになっていった数々の熱。

 

今は帰りの電車で向かいにベビメタのTシャツを着ている太ったおじさんをチラチラ見ながら、スカスカの頭で書いています。

 

あんなにこみ上げていた熱が、確かにここにあった熱が、今はもう無いのです。“こんなの初めて!!!”って思ったのに。

今は酸素が脳に届いていない様な、この頭蓋骨の中でふわふわと脳が浮いている様な感覚でぼんやり惰性の様な1日を過ごしてしまった。惰性。毎日は手作りなのに。一つ一つ作り上げてこなしていかなくてはいけないのに。なんかぼろぼろだしふわふわだしすかすかだし

ベビメタおじさんは「あ、もしもしお疲れ様です、スズキさんて来たみたいねー」と通話を始めた。想像よりは柔らかい口調だが電車内だぞ、という乾いた熱で見つめてみたが全く気づかれない。

 

 

 

憂鬱。憂鬱なんて、

 

 

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さて現在9月10日昼になってしまいました。

 こんなに時間かけても意味無いのになかなかまとめられなくてこんなになってしまった。激し目の熱は渇き、憂鬱を誘発した。